特定非営利活動法人 ニューマン理論研究・実践・研究会

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ニューマン理論 2021年度 第2回学習会レポート

当ホームページをご覧いただきありがとうございます。ここでは、2021年11月28日(日)にオンラインで開催いたしました「2021年度第2回学習会」についてご報告いたします。快晴の日曜日の午後、35名の方々がご参加くださいました。
 今年度の学習会は、「ニューマン理論とケアリング・パートナーシップのケアのつながりとは、実際のところ、どのようなことなのだろうか。私にもできることは、どのようなことだろうか」というテーマを掲げ、第2回・第3回の学習会を企画いたしました。今回は、遠藤理事長スピーチ「COVID19 Pandemic: A World of No Boundaries (2)」、続いて、今回のリーダーを務めた宮原の「ニューマン理論に導かれたケアリング・パートナーシップのケア」のおさらいに続き、3名臨床ナースから提供された事例を通して、ニューマン理論のエッセンスが実践の中でどのように表れるのかということに焦点を当て、学びを深めました。

事例提供① その一瞬一瞬を生きるAさんとナースがひとつになって鼓動する
~周手術期にある軽度認知症患者との交流を通してみえてきたこと~
  本田彩(東京医科大学八王子医療センター)

 本田さんは、当時外科病棟に勤務し周手術期の患者の看護を担当していました。周手術期の看護には、時間の経過で患者の変化を捉え、アセスメントに基づいたケアの展開すること、それに加えて認知症を抱えた患者のケアには、認知機能障害の程度とその原因をアセスメントし、症状に応じたケアが求められます。さらにそれを超えて本田さんは、ナースがニューマンの理論の視点に立つならば、患者のもつ力を信じながら、相互作用を意識し、心を込めた寄り添いのケアが可能になる、そのケアの実際を紹介してくれました。それは手術前日の夜から朝、術直後、退院前の3つの短い時間のケア場面でした。
軽度認知症を抱えながらがんの手術を受けるために入院してきたAさん。本田さんは、Aさんの手術に対する意思決定を大切に思い、Aさんの持っている力を信じてケアに踏み出しました。常に“Aさんの波長に合わせる”ことを意識しながら、Aさんと誠実に相互作用をするために“敬意を込めた挨拶”、“視線を合わせたやりとり”、“穏やか雰囲気の空間づくり”といった具体的なケアを実践しました。手術前日の夜、就寝前の準備にあたり与薬のために病床を訪れた本田さんは、薬を見た瞬間のAさんの波長の変化を察知します。その場面を次のように紹介してくれました。

Aさんにとって意味ある問いかけは手術について語ることなのだ、そしてそのチャンスは今なのだと、直感的に感じ、手術の話題に踏み込みました。私は、Aさんに「明日は手術ですね」と語りかけAさんからどんな反応が返ってきても全てを受け入れようと、Aさんの手に自分の手を添えて待ちました。Aさんは、「手術が怖いのです。今頃になってこのようなことを口にしてごめんなさい」と目を真っ赤にして語りました。手術という大きな流れに飲み込まれるようにして入院したAさんの姿が見えた私は、“手術が怖い”それでもこの場にいることを選択しているAさんの体験に思いを巡らせました。しばらく沈黙した後Aさんは「でもね、手術はしようと思います。ここへ来る前も、今も怖いです。でも、ここへきて、入院するっていうことがどんな事か少しわかりました。皆さんが良くしてくれて、色んな患者さんがいて、自分も頑張ってもいいのかなって、そんな気持ちに今は変わってきています」と穏やかさを取り戻した表情で語りました。そして自ら薬を手に取り、手術の準備に向けて自ら一歩を踏み出しました。

術直後も同様に、身体の観察・アセスメントを繰り返しながらも、Aさん自身がこの時期を乗り越えることができる力を信じ、Aさんの波長に合わせながらケアを継続しました。
退院を控えたAさんとの対話の場面では、Aさんと家族全体のありようを感じとり、認知症やがんを抱えたAさんとともに生きる娘へのケアへと発展しました。
最後に本田さんは、 “患者と家族が持つ力を信じる”というニューマンの健康の理論の視点に立ち、わずかな時間の中であっても、相互作用を意識した意図的なケアを実践することは、患者とナースが互いに理解し合う寄り添いのケアへの手助けとなると明言しました。また、軽度認知症を抱えた周手術期患者との関係性においては、心を込めて寄り添うことで患者が表現するわずかな言動にも、より敏感となり、一瞬一瞬を生きる患者とナースの波長がひとつとなって、全体が鼓動するようなケアが可能となることが見えてきましたと締めくくりました。

事例提供② 理論のエッセンスを反映したナースの視点ならびにケアの変化
〜生と死のあいだで、繋がっていく家族のパターンの開示とケアの可能性の拡がり~
  鈴木景子(神奈川県立がんセンター)

 緩和ケア病棟に勤務していた鈴木さんが出会ったBさんは、身体状況が許す限り自宅で生活され、今回は2度めの入院でした。切迫した病状のなか鈴木さんは、Bさんが抱える苦痛症状や孤独感を少しでも和らげるためのケアを展開していました。ある日Bさんは「もう疲れちゃった。輸液をやめてほしい」と鈴木さんに語りました。輸液療法の中止は、すなわち命の終わりを意味します。そのことを承知したうえで輸液中止を希望するBさん、Bさんの意思を何よりも大切に考えそれを実現したいと願う鈴木さん、Bさんの余命が少しでも長く続くための治療を望む夫。それぞれが異なる希望を持つ中で話し合いがもたれ、輸液の継続が決まりました。それを聞いたBさんは「みんなの気持ちはわかりました。考えてくれてありがたいです。寝させてください」とだけ言い、鈴木さんに背を向けてしまいます。その場面をきっかけに鈴木さんは、「本当にBさんの苦しみに寄り添えているのだろうか」というナースにとって苦しい疑問にぶつかったのでした。
 鈴木さんは、カンファレンスでBさんの輸液継続の方針が決まったことを伝えました。Bさん夫婦は輸液について、夫は少しでも長く続けてほしいとBさんに伝えたところ、Bさんは「じゃ、やる」とだけ答えたことや、それまでのBさん家族は具体的に言葉にして伝え合うというよりは、“察して動く”ということを信条にしてきたことなど、夫が話していた内容を紹介しました。そして「Bさんの輸液をやめたいという希望を叶えることができなかった」、「看護ケアの限界を感じている」と語りました。鈴木さんの語りを聞いていたナースの一人から、「Bさんと夫の体験をニューマン理論に照らし合わせると、このプロセスは、Bさんと夫が話し合う中で、より近づき合い、成長する過程ではないだろうか」という見方が出され、そのときの鈴木さん自身の体験は次のようでした。

私はこの言葉を聞いたとき、絶句してしまいました。私が「限界である」として見ていた今を、そのナースは「BさんとBさん家族が成長する過程である」つまり、同じものを見ているのに、全く方向性の違う見方で捉えているナースがいることに驚いたからです。それと同時に、はっとしました。
それまで私は、Bさんに「生きていくのを支援していきます」と約束していたのに、Bさんの希望する生きることが叶わないのであれば、せめて命の終わりに向かって穏やかな閉じ方ができるようにと思っていました。その時初めて、死にばかり注目し、本当の意味でBさんがどのように生きていくかを考えていなかった私のケアパターンを認識しました。一方で、Bさんの力になれる何かを欲していた私は、すがる思いで助言に飛びつき、何ができるのかは分からないけれど、Bさんと家族のケアをもう一度踏み出そうと思った瞬間でした。

 同じものを見ていても、どのように見るかによって意味が異なる。意味が異なると、私たちのケア、すなわちすべての行為に違いが生まれ、ケアの受け手である患者・家族にも違いが生まれる…。この理論のエッセンスを胸にもう一度Bさんと家族を見てみると、すでに進化の過程を歩む姿という意味をBさん夫婦が映し出していることに気づきました。そして、これまでの‘察する’というパターンを超えて、Bさん家族自身が新しい方向性を見いだせることを支援するようなケアへの一歩を踏み出しました。

事例提供③ 理論を意図した一歩によって見えてきた、理論に導かれた柔軟なケアのあり方 ~部分は全体を映しだしており、全体には部分が宿っている~
  濱田麻里子(川崎市立井田病院)

 ニューマン理論のエッセンスのひとつ、「理論は見方なのである。」という考えに導かれた濱田さんは、担当となったCさんと家族全体まるごとありのままに感じようと近づいていきました。がん終末期のCさんは、視力を失い、呼吸困難を抱えていました。濱田さんは、症状緩和のケア、日常生活のケアなどの対話を通して、目に見える言動という部分から、それに潜む全体をありのままに感じようと心を込めて寄り添い続けていました。するとある日、呼吸困難をきっかけに現れたパニック様の言動のなかに、隠れた家族関係に関する苦悩があることを直感的に確信しました。

私は、「長女さんとご主人の関係に悩まれているように見えます。それは、やり遂げなければならない・・・大切な・・・最後の仕事なのですね?」とCさんに問うと、Cさんは、ぱっと目を見開き「わかってくれるの?そうなんだよ。このままじゃ死んだって死に切れないんだよ」と涙ながらに私の手を握りました。私は、「苦悩するCさんの力になりたい」と願うと共に、残していく家族の関係性を気遣い、必死な様子にCさんが秘める力を想像し、「私で良ければ力にならせてください」と心を込めて伝えました。ナースとして、病態生理を考え症状緩和に努めることはもちろんですが、パニック様の症状を〝なんとかせねば”という思いよりも、意図的に「言動の意味を考え、全体をありのままに感じて寄り添ったことが大切であったと考えます。

濱田さんは、Cさんに、「人生における意味深い出来事や人々についての対話」のケアに誘い、Cさんは喜んでそれを受け入れてくれました。対話を通して、「複雑な人間関係の中で、何事も良かれという思いで常に全力で周囲に関わってきた」Cさんのパターンがはっきりと意味として浮かび上がってきました。その後濱田さんは、視力を失っていたCさんに表象図を用いたフィードバックをする方法ではなく、日常のさまざまな関わりのタイミングをとらえて、Cさんのパターンへの気づきを促進することを意図した短い対話を取り入れることにしました。それは、「ナースとして行う今までの同じ行為でありながら、部分から全体を見るという見方を意識したことがポイントになったのだと思います」と濱田さんは話しました。部分から全体へというエッセンスは、Cさんの語りという部分から、Cさん家族全体へという意図をもって、Cさんと家族に関わり続けたのです。
そしてCさん自身が、自分のパターンに気づき、その意味を得て、変容するときを迎えました。Cさんの変容は、Cさんだけに留まらず、Cさんが心配していた娘と継父の関係性の変容へと波及しました。
事例を通して濱田さんは、交代制とは言え、24時間患者・家族のそばにいる存在がナースには、日常のケアを通じて関係性を築き、「部分」から「全体」を見る機会にあふれていること、ニューマン理論に導かれるケアは、見方次第で現象の見え方が変わり、その時々の状況に柔軟に応用することができるのだと明言しました。

全体討議と次回に向けて
これらの3事例を受けた全体討議では、改めてニューマン理論のエッセンスと実践への活用について対話をしました。実践に先立つニューマン理論に導かれ、全体性の見方で意味をつかむためのヒントについて、心を込めた寄り添いこそがナースが直感的に敏感になることを表した場面の紹介、波長を合わせながら安らぎをもたらすようなケアの意味などが話題に上りました。
学習会の最後には、第3回学習会で事例を提供してくださる方を募りました。事例提供者になると宣言するには、勇気がいるだろうと担当者としては内心ドキドキしていましたが、4名の方の手が次々と上がり、さらに2名の方が推薦を得て準備をしてくださることになりました。とてもうれしく実りにつながっていくという確信を得た瞬間でした。
第3回学習会は、2022年2月13日オンラインでの開催を予定しています。6名の事例提供を受けながら、さらにニューマン理論の観点からの考察を深める機会となることをめざして準備を進めていきます。どうぞ、たくさんの仲間を誘っていただき、当日お会いできることを楽しみにしています。
(文責 宮原知子)

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